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時代の変化とともに、こころの病に対する認識は変化しつつあります。しかし、実際に患うご本人やともに暮らすご家族の苦しさや辛さはそう変わったりしません。どんな理屈や倫理感や常識があろうが、すべてを投げ出したいのは一度や二度ではないでしょう。
我が存在を、あるいは我が子やパートナーの存在を本当に投げ出したい、その川の渡し船に乗ってしまうその前に、ここにちょっと立ち寄ってほしいと、「先人」たちが開設したお茶屋さんです。

家族 2022.7.10

悲しみのプロセス

娘が突然この世を去って間もなく5年になる。

悲しみを乗り越えるには、①ショック②喪失の記憶③引きこもり④癒し⑤再生 という5つのプロセスがあるという。
私の場合、①②③は順番どおりではなく、しばらくの間行ったり来たりしていた。
毎日突然襲ってくる悲しみや、ころころと変わる感情の動きのために苦しみ、様々なことがフラッシュバックして電車の中で突然涙が止まらなくなったり、何日も眠れない夜を過ごしたりした。
いつも喉に大きな塊がつかえていて声が出にくく、気分の落ち込み、胃痛といった身体的苦痛も大きかった。

「あんな事を言ったのがいけなかったのでは…」「あの時こうしていたら…」「私のせいで…」などといった思いが次々と頭に浮かび、常に罪悪感が付きまとっていて悩んでいた時に、話を聞いてくれたある先生からの「誰も悪くないんだよ」という一言が救いだった。
ここ1年はようやく癒しから再生へ進んでいるように感じる。
悲しみが頭から離れないということは無くなり、戻ってきても短期間で終わるようになってきた。
昨年、思い切って家のリフォームをしてかなりのものを捨て、一から出直そうと決めた。

これからは、もっと自分を生きていこうと思う。



アルコール依存症 2022.6.10

アルコールに見る夢

毎日、プルタブを引く指先に夢を見る。これを飲めばもう少しマシな私になれるはず。これに酔えば、何もかもが上手くいくはずだ。そんな夢を抱いて酎ハイを一本空ける。だが一本では上手く酔えないからもう一本、それでも足りないから更に一本…。そうしてどれだけ空き缶を増やしても、夢に見た「マシな私」なんてものは訪れず、毎日記憶のないまま一日を終える。やがて朝を迎え、浮腫んだ顔を見て思うのだ。『ああ、またやってしまった』と。

アルコールに頼ったところで、何も好転しないことぐらい分かっている。夢に見た姿は夢のままで、実際には何も変わらずに同じことを繰り返している。それでも毎日飲んでしまうのは、普段の私では私自身の生き方を緩められないからだ。お酒を飲めば一時の高揚感と解放感が訪れる――のだと思う。実際にはよく分からない。酔っ払っている時は、多分ほとんど何も考えられていない。でも、その何も考えられない状態こそ、私が欲しいと思っているものなのかもしれない。

だが所詮はアルコールの力、全てはまやかしなのだ。酔いが醒めた時に残っているものなど何もない。根本的なものは一切解決などしない。そう理解しながらもまた夢を見てしまうのだ。この一杯に、この一缶に。指先にありったけの期待を込めて、私は今日もプルタブを引くのだろう。



パーソナリティ障害 2022.5.10

狂おしい程愛しく憎いこの世界という戦場より

いつからか…私は家族を家族と思えず、「ルームシェアの人」と捉えるようにしました。ずっと不安な日々をやっとの思いで生きてきて、「ちゃんとした人間であれ」と親等から唱えられ続け、失敗を恐れ、嫌われることに怯え、上手くできない自分をどう律すれば良いかわからず。

いじめ、入院、家庭崩壊。私はただ家族に愛されたかった。
でもそれが叶わなかったことで私は壊れました。
心身共にボロボロになっていく中で、「助けてくれ」と縋った私を
嫌な顔をして追い討ちをかけた彼等を「大事な家族」と考える事が出来る筈も無く。
減っていく友だち、うまく息が出来ない日々。
救われるには「家族」を辞めるしか私には出来ませんでした。
友達等へ相談を受け、「救われた」と言われる度に私が救われたりと。
今でも発狂するのではと思う朝があり、でも生きる事を諦められない自分がいます。

狭い世界で生きてきた私はまだ見ぬ世界をもっと知りたいと思う、この気持ちでギリギリ己が命を繋ぎ止めています。行った事のない土地、話した事がない誰か。それらがきっとこの先待っているなら私はまだ生きてみてもいいかなと。世界は広大で見方を変えれば救いになる「何か」も沢山だと、私はそう信じています。明日は何があるか、明日なんて来なくていい、両方あっていい、それが生きるという事だと。



ジュニア 2022.4.10

結局は正解に辿り着く

2022年4月、私は高校生活を終えました。昨年「卒業はできない、留年になる」と言われ、頭の中は真っ白になりました。周りの同い年の方達は沢山のお花を貰って、写真を撮って、泣いていて。私には凄く胸が締め付けられる気持ちでした。

先が見えない苦しさに何度も辞めたいと、親と喧嘩しました。高卒という学歴は不可欠と周りに説得され学校に行く気を失いました。なんとか周りの力を借り、2022年3月上旬、高校卒業が正式に決まりましたが正直、卒業の実感が湧かず、何とも言えない気持ちでした。自分の意思ではなく、無理矢理で。卒業式も行きませんでした。

4月上旬に何となく学校に行くと、そこには一人の先生が居ました。勉強も精神面も私の高校生活の全てを助けてくれた先生でした。その先生が居なかったら今の私は居ません。その先生と私の二人だけの卒業式をして、たくさん話しました。「あんな事があったね」「これ覚えてる?」とか。やっと1年間頑張ってあそこで諦めなくてよかったと。

今、真っ暗なトンネルの中で先の見えなくて立ち止まっている方々へ伝えたい。ずっと一緒にいるから、安心して、大丈夫だよ。みんな苦しい中で朝起きて、ご飯食べて、寝て、泣いて、笑って。毎日当たり前のことができるだけで偉いのです。



うつ病・双極性障害 2022.3.10

私を変えてくれた経験

私が自分を変えようと思ったきっかけとなった出来事はある底つき体験でした。それまで私はどこかで自分を変えなければいけないことは分かりつつも、それを認めたくない気持ちによって踏み出す勇気が持てませんでした。だってこうなったのは私が悪いんじゃない、私ばっかり余りに不公平じゃないか、そんな思いがあったと思います。

そんな私にその体験は、変わるか否かの決断を突きつけてきました。それまで自分を変えるなんて、自分が歩み寄るなんて考えもしなかった私が、自分の間違いを認め自分を変えてみようと決意出来たことはある種の成功体験でした。長い間握り締め、後に引けずにいたものを手放せたことで、私の心は一気に軽くなり、そしてそんな自分のことが少し好きになれた気がしました。確かに底つきで最低最悪な体験ではあったのですが、今となっては自分を変える勇気と覚悟を与えてくれた貴重な経験となりました。

その後も性根は変わらないのか、ことあるごとに我を張ることを繰り返していますが、下手なりにも手放すことが徐々に上手になったように思います。その繰り返しで少しずつ角が取れ、社会でも底々上手くやっていけるようになりました。つい我を張ってしまう自分が大切にしなければならないのは謙虚さと相手を思いやる気持ちだということはこれからも忘れずにいたいです。



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