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時代の変化とともに、こころの病に対する認識は変化しつつあります。しかし、実際に患うご本人やともに暮らすご家族の苦しさや辛さはそう変わったりしません。どんな理屈や倫理感や常識があろうが、すべてを投げ出したいのは一度や二度ではないでしょう。
我が存在を、あるいは我が子やパートナーの存在を本当に投げ出したい、その川の渡し船に乗ってしまうその前に、ここにちょっと立ち寄ってほしいと、「先人」たちが開設したお茶屋さんです。

摂食障害 2022.9.10

どうしても死にたくない

拒食症になりたての私を支えてくれた大恩人がいる。彼女が亡くなられたとき、私は15歳だった。彼女の年齢を越えてしまう年のお墓参りで「本当に良いんでしょうか」と内心で尋ねたことを憶えている。

今でもご遺族と電話で話したりする。母は当時、摂食障害の子を持つ親の集まる家族会で一緒だった仲間たちと連れだって、ご遺族に会っては話をするという。近況報告に混じって、故人の思い出話が出る。私の話も出るらしい。「あの子は元気?」と聞かれたとき母が「うちの子は元気よ」と答えられる生活を維持することが私の目標にもなっている。

リフォームした家は継いでくれる子がいない。墓の管理は誰がするか。遺品はどうするか、晩年は親に何も話さなくなっていたあの子が何を大事にしていたかさえ、もうわからない。そんな話も聞く。

亡くなったあとはせめて楽になっていてほしい、と願う一方で、美談にはできないよな、とも思う。できないし、したくない。死は綺麗じゃない。

もう死ぬか、と判断しかけるとき、いつも思い出す。この部屋が好きなこと。愛した本が遺品と呼ばれる日。まだ誰にも話してない。この本のどこが好きか。今なんでつらいか。私は死にたいけれど、友達に喪服なんて着させたくない。
せめて、明日話してからでも遅くない。今日も、施設の開所時刻を待っている。



家族 2022.8.10

我が子を失くすということ

娘がこの世を去って5年が過ぎた。
5年経てば何とか乗り越えられるのでは…と思っていた。
でも、また今年もその日が近づいてくるうちに、じわじわと何とも言えない重くて暗いものに押しつぶされそうになっている。あの日の朝の空気感や光景がフラッシュバックして涙が溢れてくる。

以前のように悲しみが頭から離れないということはなくなったが、戻ってくる時の波は高く深い。
娘の表情や仕草、声や体温、髪の感触などが懐かしく苦しい。
生まれる前の期待や不安、生まれた日の光景、子供のころの無邪気な笑顔や泣き顔、楽しく過ごした日々を思い出すことも多い。

我が子を失くすということの悲しみに終わりはないのだろう。



家族 2022.7.10

悲しみのプロセス

娘が突然この世を去って間もなく5年になる。

悲しみを乗り越えるには、①ショック②喪失の記憶③引きこもり④癒し⑤再生 という5つのプロセスがあるという。
私の場合、①②③は順番どおりではなく、しばらくの間行ったり来たりしていた。
毎日突然襲ってくる悲しみや、ころころと変わる感情の動きのために苦しみ、様々なことがフラッシュバックして電車の中で突然涙が止まらなくなったり、何日も眠れない夜を過ごしたりした。
いつも喉に大きな塊がつかえていて声が出にくく、気分の落ち込み、胃痛といった身体的苦痛も大きかった。

「あんな事を言ったのがいけなかったのでは…」「あの時こうしていたら…」「私のせいで…」などといった思いが次々と頭に浮かび、常に罪悪感が付きまとっていて悩んでいた時に、話を聞いてくれたある先生からの「誰も悪くないんだよ」という一言が救いだった。
ここ1年はようやく癒しから再生へ進んでいるように感じる。
悲しみが頭から離れないということは無くなり、戻ってきても短期間で終わるようになってきた。
昨年、思い切って家のリフォームをしてかなりのものを捨て、一から出直そうと決めた。

これからは、もっと自分を生きていこうと思う。



アルコール依存症 2022.6.10

アルコールに見る夢

毎日、プルタブを引く指先に夢を見る。これを飲めばもう少しマシな私になれるはず。これに酔えば、何もかもが上手くいくはずだ。そんな夢を抱いて酎ハイを一本空ける。だが一本では上手く酔えないからもう一本、それでも足りないから更に一本…。そうしてどれだけ空き缶を増やしても、夢に見た「マシな私」なんてものは訪れず、毎日記憶のないまま一日を終える。やがて朝を迎え、浮腫んだ顔を見て思うのだ。『ああ、またやってしまった』と。

アルコールに頼ったところで、何も好転しないことぐらい分かっている。夢に見た姿は夢のままで、実際には何も変わらずに同じことを繰り返している。それでも毎日飲んでしまうのは、普段の私では私自身の生き方を緩められないからだ。お酒を飲めば一時の高揚感と解放感が訪れる――のだと思う。実際にはよく分からない。酔っ払っている時は、多分ほとんど何も考えられていない。でも、その何も考えられない状態こそ、私が欲しいと思っているものなのかもしれない。

だが所詮はアルコールの力、全てはまやかしなのだ。酔いが醒めた時に残っているものなど何もない。根本的なものは一切解決などしない。そう理解しながらもまた夢を見てしまうのだ。この一杯に、この一缶に。指先にありったけの期待を込めて、私は今日もプルタブを引くのだろう。



パーソナリティ障害 2022.5.10

狂おしい程愛しく憎いこの世界という戦場より

いつからか…私は家族を家族と思えず、「ルームシェアの人」と捉えるようにしました。ずっと不安な日々をやっとの思いで生きてきて、「ちゃんとした人間であれ」と親等から唱えられ続け、失敗を恐れ、嫌われることに怯え、上手くできない自分をどう律すれば良いかわからず。

いじめ、入院、家庭崩壊。私はただ家族に愛されたかった。
でもそれが叶わなかったことで私は壊れました。
心身共にボロボロになっていく中で、「助けてくれ」と縋った私を
嫌な顔をして追い討ちをかけた彼等を「大事な家族」と考える事が出来る筈も無く。
減っていく友だち、うまく息が出来ない日々。
救われるには「家族」を辞めるしか私には出来ませんでした。
友達等へ相談を受け、「救われた」と言われる度に私が救われたりと。
今でも発狂するのではと思う朝があり、でも生きる事を諦められない自分がいます。

狭い世界で生きてきた私はまだ見ぬ世界をもっと知りたいと思う、この気持ちでギリギリ己が命を繋ぎ止めています。行った事のない土地、話した事がない誰か。それらがきっとこの先待っているなら私はまだ生きてみてもいいかなと。世界は広大で見方を変えれば救いになる「何か」も沢山だと、私はそう信じています。明日は何があるか、明日なんて来なくていい、両方あっていい、それが生きるという事だと。



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