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時代の変化とともに、こころの病に対する認識は変化しつつあります。しかし、実際に患うご本人やともに暮らすご家族の苦しさや辛さはそう変わったりしません。どんな理屈や倫理感や常識があろうが、すべてを投げ出したいのは一度や二度ではないでしょう。
我が存在を、あるいは我が子やパートナーの存在を本当に投げ出したい、その川の渡し船に乗ってしまうその前に、ここにちょっと立ち寄ってほしいと、「先人」たちが開設したお茶屋さんです。

摂食障害 2021.11.10

200mlが5リットルになりました

ある時、旅行に行く許可を得るため、病院での体重測定前に水を飲んで体重を増やしたことから悪化は始まりました。それから体重を減らしても水を飲めばバレない、と考えるようになった私はどんどん体重を減らし、病院に向かいながら飲む水の量もどんどん増えていきました。

増える過活動、減る食べる量。親や病院の先生に対して体重を誤魔化していること、食べていないのに食べていると嘘をつくことは辛いものでしたが自力では体重を増やすことはできませんでした。

そんなある日、いつも通り病院で採血をしたら肝臓の数値がいつもよりも桁違いに悪く、体重どうこうではなく入院と言われました。2回目の入院のことでした。そこで初めて体重を水で増やしていたことを白状しました。

現在、症状は回復しています。それはやはり、2回目の入院の前の辛かった思い出の頃には戻りたくない、という気持ちがあるからだと思います。人に嘘をついていたことはもちろん、秋から厚手のコートとマフラーを手放せない寒さ、回らない頭、コントロールできない過活動…。痩せていることが必ずしも幸せに繋がることはないと感じました。



特集 2021.10.10

特集「見えてる?聞こえてる?」


幻聴とは実在しない人の声が聞こえること。統合失調症の症状とよく言われますが、他にも解離性障害や高齢者の認知症でも起こります。また脳梗塞や脳外傷などの脳に損傷を受ける病気でも生じることがあります。
しかしストレス過剰になると、誰でも起こりうるとも。それだけストレスと脳と症状は関係が深いのです。


統合失調症

高校生の時、いじめが原因で発症しました。この病気とは16年付き合っています。入退院も8回あります。幻聴も耳元で言われて、寝てても起こされます。「殺す」「死ね」って言われて恐怖です。その恐怖で死にたくなって、リスカ、ODは当たり前にやってました。
私は元気ないのに、幻聴は元気があってよろしいようです。
でも今回でリスカ、ODを卒業したい。
きっかけは同じ仲間に会えて、話できたことが大きいです。
同じ思いを体験していてわかってくれる人がいるだけで、私の気持ちはちょっと違います。


双極性障害

私はある事をきっかけに、幻聴が聞こえるようになってしまった。そのきっかけとは、誰かの悪戯による、夜中の玄関のドアのノック音、そしてドアチャイムだった。その悪質な悪戯は暫く続き、私は毎晩脅え、身構え、眠れぬ日々が続いた。
その後警察に見廻りを強化してもらった結果、その悪戯は収まったのだが、いつからか私は、眠りにつくかつかない頃おいに、ドアのノック音が耳にダイレクトに聞こえるようになってしまったのである。
その時の衝撃と恐怖心は尋常じゃなく、これは明らかに幻聴だと確信した。しかし時を経て今は、幻聴が聞こえても、自身の不調のバロメーターなのだと冷静に対処出来るようになり、症状と向き合う事の大切さを学んだ。




アルコール依存症 2021.09.10

心を無視していたら自分が失くなった

初めての職場から誰よりも速く素晴らしい成果を上げるべく、息を止め全力疾走する勢いで自己犠牲的に働いた。無理せずマイペースな周りを攻めたり燃え尽きたり仕事は続かなかった。転職を重ねる度に環境は悪くなり身も心も削れ荒んでいった。惨めさを誤魔化し限界を超えて働く為に酒を使い始めたら、瞬く間に借金は膨れ上がり仕事に穴を開け居場所は酔いの中だけになった。

唯一のプライドだった仕事を失い孤独に耐え兼ね飲みながらAAに通ったら2年弱で断酒できたが、自分を偽れないので現実はより厳しく感じられた・・・急いでる人が恐くてバスを降りれなかったり理不尽な要求や扱いにNOが言えなかったり仕事中毒と鬱(現在重症長期化)を繰返したり。生活保護を切れず、劣等感が疼きAAにも居られなくなった。

感情と向き合う病院Prg.への参加を切っ掛けにACoAに繋がったら幼少期を思い出した。遊びもスポーツも勉強も手伝いも常に怒鳴られながら。頻繁な暴力は始まると長時間続き、恐怖と痛みを切り離すしかなかった。いつも怒りに怯え自分の存在を消したかった。

自己肯定や自尊心が無いまま既に50代半ば、必死で空回りばかりの人生は虚しく悲しい。無価値感を払拭し少しでも自分に自信を持ちたい。



発達障害 2021.08.10

悪魔の考え

私は、これまで二度、精神病院の閉鎖病棟に入院してきました。二度目の入院後、2?3日で死にたい気持ちは、収まり、約1か月と1/3で退院する事が出来たのですが、僕の根本にある、「悪魔の考え」は、一向に消えませんでした。

その考えとは、「50歳になっても結婚出来なかったら、自殺しよう」という考えです。この考えは、25歳位の時から2021年5月頃まで消える事は、ありませんでした。何故50歳になったら、自殺を考えていたかというと、50歳になってからでは、出会いも恋愛も出来ないと考えていたからです。

この考えをカウンセラーの先生、担当の精神科医に話してもこの考えは、消える事は、ありませんでした。この約10年に及ぶ「悪魔の考え」を消してくれたのは、とある女性でした。その女性は、僕の「悪魔の考え」を聞くなり一言、「怖い」と言ってくれました。

その時、ハッとしました。「これが定型の考え方なのか?!」と思いました。僕は、今まで人を自分の考えをさらけ出す事で他人を怖がらせた事は、ありませんでした。なのでその時から「自分の天命をまっとうして今を生きよう」という考えに変わり、今に至ります。僕は、人の発する「言葉」に影響を受けやすいです。だから「天命をまっとうするまで生きる」に変えられたのだと思います。



家族 2021.07.10

6月

6月は娘が川を渡って逝ってしまった月。
今ごろは、向こう岸で「番人」として、渡ってこようとする後輩たちを追い返しながら、可愛がっていたペット達と、自由にのんびり過ごしていることだろう。

あの日の朝は、少し蒸し暑くて雲の間から日がさしていた。その後の出来事が次から次へと頭をかすめて、今でもふとした時に鮮明に蘇ってくる。あれから4年が過ぎたが全く薄れることはなく、それどころかもっと深いところに確かな爪痕を残している。

6月になると、私の自律神経は乱れに乱れ、動悸や喉の詰まり、鬱状態に悩まされる。とにかく自分を追い込むことで何とか1日を過ごしているが、今までで一番辛いように感じる。

娘の事を知っている周りの親しい人たちも、私を気遣ってか思い出話をすることはなく、4年目のその日もいつもと変わりなく過ぎていった。
「今はただ会って話がしたい。」
恥ずかしそうに微笑む遺影の横に、ピンクの紫陽花を飾った。



アンダー20(ジュニア) 2021.06.10

自傷しても何もいいことないよ

私の左腕と手首はリスカ痕だらけで半袖も可愛い服も着れない。分かっていても止められなかった。切るとスッキリするし、周りの大人に心配してもらえる。私は言葉にして助けてと言えず、リスカは唯一の助けを求める手段だった。児相でも虐待がひどくないから、と最初は助けてもらえず、リスカして初めて辛さを理解して同情された。しかし、もっとひどく切らないと同情してもらえないと思い、レッグカット、OD、首吊りとエスカレートしついに入院。

入院はとても辛くて、夜中にシャーペンで腕を傷つけて看護師さんに見つかり保護室に。持ち込めるのは身体だけの何もない辛い部屋に2週間近く居て、その後は大部屋に移り友達もでき、「もう自傷はしない」と1か月で退院した。でも今、2回目の入院中。自傷は抑えられず、今回は保護室から17日間いた。

周りの多くの人の信頼を失い、ひどく後悔をした。一瞬の快感の為にした自傷で、こんなにも惨めで胸が苦しいならもうしたくないって思った。今回は前回のように早く帰れず、最近ようやく退院に向けて動き出しているけれど、ドクターや家族の信用を失い、取り戻せても当然かなりの時間がかかる。

だから自傷を止める方法や対策を考えた。私はパニックなので事前に薬を使う、音楽や好きなTVを見聞きする、本を読むなど気を紛らわして努力している。何故なら、自傷をしても何もいいことはないことがわかったから。



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