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時代の変化とともに、こころの病に対する認識は変化しつつあります。しかし、実際に患うご本人やともに暮らすご家族の苦しさや辛さはそう変わったりしません。どんな理屈や倫理感や常識があろうが、すべてを投げ出したいのは一度や二度ではないでしょう。
我が存在を、あるいは我が子やパートナーの存在を本当に投げ出したい、その川の渡し船に乗ってしまうその前に、ここにちょっと立ち寄ってほしいと、「先人」たちが開設したお茶屋さんです。

家族 2021.07.10

6月

6月は娘が川を渡って逝ってしまった月。
今ごろは、向こう岸で「番人」として、渡ってこようとする後輩たちを追い返しながら、可愛がっていたペット達と、自由にのんびり過ごしていることだろう。

あの日の朝は、少し蒸し暑くて雲の間から日がさしていた。その後の出来事が次から次へと頭をかすめて、今でもふとした時に鮮明に蘇ってくる。あれから4年が過ぎたが全く薄れることはなく、それどころかもっと深いところに確かな爪痕を残している。

6月になると、私の自律神経は乱れに乱れ、動悸や喉の詰まり、鬱状態に悩まされる。とにかく自分を追い込むことで何とか1日を過ごしているが、今までで一番辛いように感じる。

娘の事を知っている周りの親しい人たちも、私を気遣ってか思い出話をすることはなく、4年目のその日もいつもと変わりなく過ぎていった。
「今はただ会って話がしたい。」
恥ずかしそうに微笑む遺影の横に、ピンクの紫陽花を飾った。



家族 2020.09.10

人は見た目が100%??

「こんな顔だったら生まれてきたくなかった。」25歳の娘は大学2年生になった頃、整形したいと泣き叫んでいました。成人して自分のお金でするならどうぞと言ってきましたが、結局お金は貯められず、親から借金をして整形を始めました。
11歳で拒食になった時は転校が決まっていて、第一印象が大事だからと、ダイエットから始まりました。18歳で再び痩せた時には、痩せても可愛くなれなかったと言っていました。整形はしても今、満足していません。人は見た目ではないとわかる日が来て欲しいと願うばかりです。



家族 2020.07.03

来世で逢えても

Uさんのお墓参りをする度に私達三人は色々なお喋りをする。今はUさんのお母さんもお墓の中だ。お父さんはUさんの思い出を、私達は娘のその後の話をする。長い年月のうちに中身は少しずつ変わってきた。お父さんはお母さんとの最期に、また次も一緒になろうねと約束したそうだ。
皆に慕われたUさんはきっとまた何処かに生まれるだろう。そして、以前より成長した多くの私達と出会って、きっとまた何かを始めるに違いない。でも何より今度はずっと居てほしい。本当はそれしか願わない。



家族 2020.02.03

お守り

娘の枕の下に薄いカミソリを見つけたとき、ショックと驚きで全身が硬直した。
どうしたらよいかわからなくて、相談室に駆け込んだ。
カウンセラーの先生は落ち着いて「それはお守りみたいなものなんだよ。」と言う。
最初は意味がよくわからなかったが、自分自身に「お守り お守り」と言い聞かせ、娘の前では知らないふりをして普通にふるまった。
とにかく、想定外のことばかりで、その度にハラハラドキドキしていたが、だんだん慣らされていった。



家族 2019.08.03

笑顔の思い出

幼い頃、娘は大きな声でよく笑う子だった。
子供の時の笑顔を思い出すことが、最近よくあるが、いつも13歳で止まってしまう。
それから後の笑顔がほとんど思い出せない。楽しそうに青春時代を送る他の子達と娘を比べては、不憫でたまらなかった。
私の子育てが悪かったのだ。もっと愛情をかけていたら・・・もっとしっかり話を聞いていれば・・・堂々巡りの後悔ばかり。いつも暗い顔をしていたと思う。
「そんな私を見るのは娘にとっても辛かったのだ。もっと自分を大切にして楽しまなければ」と気づくのには、ずいぶん時間がかかってしまった。



家族 2019.04.03

精神科

今から15年前、初めて娘の付き添いで精神科に行った時、私は緊張と不安で震えていたのを覚えている。インターネットで調べて訪れたそのクリニックは薄暗くて、待合室には4、5人の若い男女がいた。先生はどんな感じなのか、診察はどのようにするのか、薬を飲んだら良くなるのだろうか...とにかく不安だった。
「自分が、そして娘が精神科と関わることになるなんて思ってもいなかった。」
今思えばほんの序の口のことだけど、その時は真っ暗闇に突き落とされた思いがした。





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