6月
6月は娘が川を渡って逝ってしまった月。
今ごろは、向こう岸で「番人」として、渡ってこようとする後輩たちを追い返しながら、可愛がっていたペット達と、自由にのんびり過ごしていることだろう。
あの日の朝は、少し蒸し暑くて雲の間から日がさしていた。その後の出来事が次から次へと頭をかすめて、今でもふとした時に鮮明に蘇ってくる。あれから4年が過ぎたが全く薄れることはなく、それどころかもっと深いところに確かな爪痕を残している。
6月になると、私の自律神経は乱れに乱れ、動悸や喉の詰まり、鬱状態に悩まされる。とにかく自分を追い込むことで何とか1日を過ごしているが、今までで一番辛いように感じる。
娘の事を知っている周りの親しい人たちも、私を気遣ってか思い出話をすることはなく、4年目のその日もいつもと変わりなく過ぎていった。
「今はただ会って話がしたい。」
恥ずかしそうに微笑む遺影の横に、ピンクの紫陽花を飾った。
人は見た目が100%??
「こんな顔だったら生まれてきたくなかった。」25歳の娘は大学2年生になった頃、整形したいと泣き叫んでいました。成人して自分のお金でするならどうぞと言ってきましたが、結局お金は貯められず、親から借金をして整形を始めました。
11歳で拒食になった時は転校が決まっていて、第一印象が大事だからと、ダイエットから始まりました。18歳で再び痩せた時には、痩せても可愛くなれなかったと言っていました。整形はしても今、満足していません。人は見た目ではないとわかる日が来て欲しいと願うばかりです。
来世で逢えても
Uさんのお墓参りをする度に私達三人は色々なお喋りをする。今はUさんのお母さんもお墓の中だ。お父さんはUさんの思い出を、私達は娘のその後の話をする。長い年月のうちに中身は少しずつ変わってきた。お父さんはお母さんとの最期に、また次も一緒になろうねと約束したそうだ。
皆に慕われたUさんはきっとまた何処かに生まれるだろう。そして、以前より成長した多くの私達と出会って、きっとまた何かを始めるに違いない。でも何より今度はずっと居てほしい。本当はそれしか願わない。
お守り
娘の枕の下に薄いカミソリを見つけたとき、ショックと驚きで全身が硬直した。
どうしたらよいかわからなくて、相談室に駆け込んだ。
カウンセラーの先生は落ち着いて「それはお守りみたいなものなんだよ。」と言う。
最初は意味がよくわからなかったが、自分自身に「お守り お守り」と言い聞かせ、娘の前では知らないふりをして普通にふるまった。
とにかく、想定外のことばかりで、その度にハラハラドキドキしていたが、だんだん慣らされていった。
笑顔の思い出
幼い頃、娘は大きな声でよく笑う子だった。
子供の時の笑顔を思い出すことが、最近よくあるが、いつも13歳で止まってしまう。
それから後の笑顔がほとんど思い出せない。楽しそうに青春時代を送る他の子達と娘を比べては、不憫でたまらなかった。
私の子育てが悪かったのだ。もっと愛情をかけていたら・・・もっとしっかり話を聞いていれば・・・堂々巡りの後悔ばかり。いつも暗い顔をしていたと思う。
「そんな私を見るのは娘にとっても辛かったのだ。もっと自分を大切にして楽しまなければ」と気づくのには、ずいぶん時間がかかってしまった。
精神科
今から15年前、初めて娘の付き添いで精神科に行った時、私は緊張と不安で震えていたのを覚えている。インターネットで調べて訪れたそのクリニックは薄暗くて、待合室には4、5人の若い男女がいた。先生はどんな感じなのか、診察はどのようにするのか、薬を飲んだら良くなるのだろうか...とにかく不安だった。
「自分が、そして娘が精神科と関わることになるなんて思ってもいなかった。」
今思えばほんの序の口のことだけど、その時は真っ暗闇に突き落とされた思いがした。