私を変えてくれた経験
私が自分を変えようと思ったきっかけとなった出来事はある底つき体験でした。それまで私はどこかで自分を変えなければいけないことは分かりつつも、それを認めたくない気持ちによって踏み出す勇気が持てませんでした。だってこうなったのは私が悪いんじゃない、私ばっかり余りに不公平じゃないか、そんな思いがあったと思います。
そんな私にその体験は、変わるか否かの決断を突きつけてきました。それまで自分を変えるなんて、自分が歩み寄るなんて考えもしなかった私が、自分の間違いを認め自分を変えてみようと決意出来たことはある種の成功体験でした。長い間握り締め、後に引けずにいたものを手放せたことで、私の心は一気に軽くなり、そしてそんな自分のことが少し好きになれた気がしました。確かに底つきで最低最悪な体験ではあったのですが、今となっては自分を変える勇気と覚悟を与えてくれた貴重な経験となりました。
その後も性根は変わらないのか、ことあるごとに我を張ることを繰り返していますが、下手なりにも手放すことが徐々に上手になったように思います。その繰り返しで少しずつ角が取れ、社会でも底々上手くやっていけるようになりました。つい我を張ってしまう自分が大切にしなければならないのは謙虚さと相手を思いやる気持ちだということはこれからも忘れずにいたいです。
希望の声
眠れない夜がきた。
逃げたい。消えたい。朝が来るのが怖い。
朝陽が昇り鳥が鳴く。あぁ、また今日も朝が来た。
朝陽を見て今日も朝が来てしまったと涙が零れる。
鬱病の私の朝は涙が零れることから一日が始まる。
いつもの電車。ホームに溢れかえる人々。
まもなく○番線に列車が参りますご注意ください。
ねぇもういいかな…楽になってもいいよね?と自分の心に問いかける。
いいよ。と聴こえた気がした。
ふぁと足が電車に吸い込まれそうになった。
次の瞬間確かに聴こえたんだ。
生きたい!!!という心の叫びが。
電車の物凄い汽笛音で我に返る。
全身ががくがくと震えていた。生きている…。
大粒の涙が頬を伝い溢れて止まらない。
「おかえり」母の優しい声に笑顔が零れる。
今夜が眠れなくて心に土砂降りの雨が降っているあなたへ。
私はあなたの心の傘になり背中をそっと擦ります。
いつか必ずくる。朝陽が綺麗と涙を零す日が…。
一緒に朝陽をみませんか?
私の伴奏者
私はうつ病を持っています。もう18年も、です。そんな私の最大の敵は罪悪感マンです。遊んでいても仕事していても『こんなことやっている場合じゃない、他にするべきことがあるだろう』と心にいつも言ってくるのです。
あまりに近くに居すぎて、離れられなくて、私にはもう、コイツが敵か味方かわかりません。でも周りの人達に「敵ではないらしい」と教えられてコイツと付き合って生きていく練習をしています。
40歳になって知ったこと
昨年初めてがん告知に関する問診票を書きました。生きていく上で迫られる大きな決断や選択がどれほどあるか、それを40歳になるまで知らずに済んだのは何とおめでたいことだったか、自分の見ている世界は何て狭かったのか思い知らされました。
病気は自分次第で何とかなると思ったり、それを人に押し付けたりしていなかったか思い返し反省もしました。自分の経験を離れた想像力を持ちたいと思った出来事でもありました。
衝動を越えて
あんなにも、死にたかったのに。あんなにも、過食嘔吐を止められなかったのに。でも私は今、こうして確かに生きている。そして危ういながらも、平和な日常を送っている。
何故?なにゆえ、私の激しい衝動は治ったのか。これといったきっかけは特にない。もちろん紆余曲折はあったし、今も100%衝動が治ったとは言えない。ただ、私はあきらめなくなった。ひたすら生き続け、一心に歩み続けることに。衝動のベクトルをそこに向けようと心掛けることに。
幸せは来世に
私の家庭はどこかおかしい…そう幼い頃に気付いてから、26歳になる今まで、割と生きることが地獄だった。いつか一般人のように幸せに…と欲を出して色々やってみるものの、大抵うまく行かない。
けれどつい最近、お告げがあった。「現世は仕方ない。残念。だから来世はめっちゃくちゃ幸せになる」と。そう。現世はもういいのだ。私が生きる場所は来世。来世が私の本当のステージ。私は来世で輝くのだ。現世は、そう、束の間の悪夢。だから毎日眠る前に自分に言い聞かせる。これは全て夢だよ、と。
負けても大丈夫
私の基準はいつも「負けたくない」。「勝ちたい」のではなく、「負けたくない」のだ。もちろん勝ち負けの基準はあいまいで終わりなんてない。常に何かと闘い続けて身も心もボロボロになるし、逃げたくても逃げられず(逃げようとせず)、疲れ果てていた。
そしてある日突然力尽きて…なのか、救いの手…なのか、「負け」がやって来た。
「負けた」とは認めたくなくて、もがきもしたけど、私は私のまま。負けたら私じゃなくなるような気がしていたけど、実際は何も変わらなかった。
負けても大丈夫。いや、負けてからの方が生きやすくなったような気がする。
とりあえずコーヒー
私は一日コーヒーを6~8杯飲みます。
コーヒーは私の薬みたいな物です。余裕の無い時はインスタント。少し大丈夫な時はドリップ。逆にとことん落ち込み、鬱の時はミルで豆を挽いて淹れます。
自分だけの為に淹れるコーヒーは別格に美味しい。つまり自分だけの為がポイントです。コーヒーは私にとって、手当てと同じです。
復讐
私の中学時代は青春の欠片もなく、3年間全学年の男子から壮絶ないじめを受けていた。「キモい」、「バイ菌」呼ばわりは当たり前で、背後から蹴られたり、唾を吐きかけられるのも日常茶飯事だったが、これらは序章に過ぎなく、筆舌に尽くしがたい経験だった。
大人になり、躁状態に転換した私は、中学時代とはまるで別人のように男を漁り、モテ遊ぶ事を快楽としていた。今思えば、私はきっと、男に負けまいと、見返してやりたいと必死だったのだろう。これは私の復讐劇だったのかもしれない。
なんでも大丈夫!?
面接で「週4日で当分しばらくの間はお願いします」と伝えてあった。勤め始めて約1カ月半。なんの相談もなく勤務表を見たら週5日や6日が!「勤務大丈夫?」と聞かれたが「はい。とりあえず大丈夫です」と答えてしまった。頭の中では『なんで週4じゃないの?』と思っていても言うこと(主張)はできない。そして不安になってしまう。さらにその決まったシフトでやり遂げることを目指す。
母の幸せと私の幸せ
私は病気になってから母とうまくいっていない。そっけない態度を取るし、意に反するとムカついてしまうことがある。母に心を許していないし、母に頼るのも嫌な気持ちになるから、とことん避けている。そんな私みたいな娘、親に心を開かない娘をどう思っているのだろうと疑問である。
親はどんな娘でも可愛いのか?私はいつまで母を避け続けるのか?
おそらく、私の心の中の問題だと思う。
主治医は、あなたの人生のテーマは「家族」ですと言った。
死ぬことを止めるもの
仕事上の問題及び家庭内不和から携帯で楽な自殺の仕方を毎日検索していた。必ず出てくるのが「いのちの電話」だった。
居場所がなく、いのちの電話に電話したが「おかけになった電話は大変混雑しています」というアナウンス。数十回電話しやっと繋がる。
ある日連絡が取れないだけで周囲に迷惑をかけることを目の当たりにし、勝手に死ぬのは誰にも迷惑をかけることじゃないと思っていたがそうではない現実。
僕はとりあえず「死ぬこと」を止めているのは仲間、ドクター、過去の衝撃的な出来事です。