Blog Image

時代の変化とともに、こころの病に対する認識は変化しつつあります。しかし、実際に患うご本人やともに暮らすご家族の苦しさや辛さはそう変わったりしません。どんな理屈や倫理感や常識があろうが、すべてを投げ出したいのは一度や二度ではないでしょう。
我が存在を、あるいは我が子やパートナーの存在を本当に投げ出したい、その川の渡し船に乗ってしまうその前に、ここにちょっと立ち寄ってほしいと、「先人」たちが開設したお茶屋さんです。

パーソナリティ障害 2022.5.10

狂おしい程愛しく憎いこの世界という戦場より

いつからか…私は家族を家族と思えず、「ルームシェアの人」と捉えるようにしました。ずっと不安な日々をやっとの思いで生きてきて、「ちゃんとした人間であれ」と親等から唱えられ続け、失敗を恐れ、嫌われることに怯え、上手くできない自分をどう律すれば良いかわからず。

いじめ、入院、家庭崩壊。私はただ家族に愛されたかった。
でもそれが叶わなかったことで私は壊れました。
心身共にボロボロになっていく中で、「助けてくれ」と縋った私を
嫌な顔をして追い討ちをかけた彼等を「大事な家族」と考える事が出来る筈も無く。
減っていく友だち、うまく息が出来ない日々。
救われるには「家族」を辞めるしか私には出来ませんでした。
友達等へ相談を受け、「救われた」と言われる度に私が救われたりと。
今でも発狂するのではと思う朝があり、でも生きる事を諦められない自分がいます。

狭い世界で生きてきた私はまだ見ぬ世界をもっと知りたいと思う、この気持ちでギリギリ己が命を繋ぎ止めています。行った事のない土地、話した事がない誰か。それらがきっとこの先待っているなら私はまだ生きてみてもいいかなと。世界は広大で見方を変えれば救いになる「何か」も沢山だと、私はそう信じています。明日は何があるか、明日なんて来なくていい、両方あっていい、それが生きるという事だと。



パーソナリティ障害 2022.1.10

自分を生きる

私は39歳で二児の母をしています。10歳の頃から離人症、パニック障害、そしてBPDと一緒に生きてきました。若い頃はいつも生きることがただただ辛く、生きていることに何の喜びも感じることはなく“消えたい…この先、いつまで生きるのか”と絶望していました。しかし28歳の時、良きパートナーに出会い、娘と息子を出産したことで、昔よりも生きていることに幸せを感じるようになっていました。

そんな私に昨年、大腸がんが発覚。死にたいと思っていた頃には死なせてはくれなかった神様は“生きていたい”“少しでも長生きをしていたい”と気持ちが変わっていた時には、その願いは叶えてくれないのか、なんて残酷なのだろう…と思いました。

運よく手術をして復活することが出来た私は、初めて生きるということをしっかりと嚙み締めたのです。何かを求め続け、“現状を変えないと今の自分ではダメで、もっとこうじゃなくちゃ”そんな長年の自分の思いに、“それって一度しかない人生なのにいいのか?”と問うようになりました。

私は私でいたい。一度だけ与えられた時間は誰のものでもない私だけのもの。どれだけ幸せを感じられるかも自分が決める。私は私が築いた人生を楽しみ、笑い、泣き、怒る。この先どんなことがあろうとも、生きていくことが楽しみで仕方ないのです。



パーソナリティ障害 2021.05.10

日常を持つこと

衝動的な自傷行為をしそうになり主治医に電話して助言をもらうと「人の中にいた方がいい。ド〇ールとか」そう言われ、小説や日記帳、Bluetoothのキーボードやらを持ってド〇ールへ。バッグから小説を選び、その場を凌いだ。そんな中、メル〇リは売れるし趣味の仲間からメールが届く。
日常を持っていると日常が私を助けてくれる存在となり、日常にまぎれることで日常へ戻れると知った。そして、ピンチになった時忙しい中でも助言をもらえて感謝した。しかし主治医よ、なぜド〇ール?



パーソナリティ障害 2021.05.10

幸せの痕

親戚の家に子猫がやってきた。くるりと反り返った耳をした子猫は膝に収まるほど小さい。可愛い!!先日、再び会いに行ってきた。赤ちゃんだった子猫は、元気に跳ね回るおてんば娘になっていた。私の腕に甘噛みして戯れ、小さな歯が両腕に大量のミミズ腫れを作った。施設の仲間は「自傷だ!」と笑った。
なるほど自傷か。新鮮だった。孤独に耐えきれず作った消えない自傷跡は自分のことを嫌いにさせる。だが、今腕にある傷は子猫と楽しく遊んだ証拠。子猫に愛された証だった。



パーソナリティ障害 2021.03.10

報われる時

私は虐待家庭で育った。父に引き取られ、知らない人が母になり、私は異物として扱われた。「家族」にさせて貰えなかったし、努力してもなれなかった。だから今でも、どんなに大切な人も信じられないと感じてとても怖い。きっといつか何かで裏切られる、と。友達にも、家族にも。愛する人にも。
それでも信じたい気持ちはやめられない。みんなに大事にして欲しくて、大事にして欲しい分だけみんなを大事に扱ってしまう。そして期待の分だけ裏切られる。繰り返し。そんな形は歪んでいるかもしれない。でも無駄じゃない。受け取ってくれる人はいて、「そんな私と一緒にいてくれる人」という形になって、必ず報われる時が来る。今だってそばにいる。



パーソナリティ障害 2020.11.10

過去と向き合う強さをください

ずっと過去は変えられないと思っていたが、それは違うのかもしれない。生き別れた母の所在を戸籍を使って調べた。役所を渡り歩き、私の本籍地から母の所在の他に、縁を切った母方の家族の現在の状況まで分かった。
縁を切っても書類上は家族と証明されたことで、私の心に変化が起きた。過去は変えられないが、過去の見方は変えられる。ただ劣化していくだけだと思っていた過去のしこりは風化に向けて動き出した。今でも難しさはある。それでも何十年と時を経て、私は過去と向き合っている。



パーソナリティ障害 2020.03.03

入院作法のススメ

診察中に具合が悪くなり帰れる状態でもなく医師から入院を勧められた。今まで診察中に意識をなくして医療保護入院になったり散々やらかしてきた私は今までの愚行を反省し、家族に電話し、医師にも協力してもらいながら現状説明と入院の許可を得た。
「申し訳ないですが入院させてもらっても良いでしょうか?着替えだけ届けてもらえると助かります」との電話の後に、車椅子のまま自分で入院申込書などの書類を書いた。“病気があってもやれることをする”、自分が人として在る為に必要なことである。



パーソナリティ障害 2020.02.03

自己肯定感ってなきゃダメなの?

私には自己肯定感などない。自己肯定感があれば、そもそも病気になっていないだろう。自己否定の毎日じゃ安全に過ごすことはできないため、私はダメな自分をそのまま受容している。
「ダメな自分でもいいじゃないか、自傷しなかったし」と禅問答を繰り返し、自分と折り合いをつけている。 時にはノートに感情を書くことで俯瞰して眺めて、感情を置いている。
今さら自己肯定感を高めようと何かで埋めようとしても埋められない。「自己肯定感のない自分を受け入れる」、それは等身大の自分を謙虚に生きることだと思っている。



パーソナリティ障害 2019.09.03

生きる決意の中で

ある日、目が覚めると、とある外科病棟のナースステーションに置かれたベッドの上だった。どうやら解離したのち自傷行為をしたらしい。
その数年前、好きになってくれた後輩が大病の末に亡くなったと聞いた時、私は自傷行為の真っ最中だった。後輩が亡くなったのに何してんだろう?と自傷行為をやめると決意した。しかし、どんなに決意しても願っても、かなわずに自傷行為をする。それが症状なのだろう。
当時「強いんだか弱いんだか分からないや」と彼は言った。少しは強くなれただろうか?私を生かしたのは彼かもしれない、とベッドの上で思っていた。



パーソナリティ障害 2019.08.03

危険な私

ある日の診察。「平穏な生活が心地よい時とたまに物足りなくて刺激を求めているときがあるんです」と私は話をした。主治医は「あなた、昔は刺激のない生活を送るくらいなら死ぬと言っていましたよ。だいぶ変わりましたよね」と一言。思い出した!ボーダー全開のときの私を。カウンセラーの「安全第一だよ」との指摘を鼻で笑ってた。「何が安全第一だ!スリルがなくては生きてる心地がしない」そんな風に思ってた。お恥ずかしい。そう考えるとやはりある程度年をとり、色々な人との関わりの中で経験を重ねることで落ち着くのだと思った。



パーソナリティ障害 2019.06.03

自分の感情と向き合って

ここ一年間、20年以上続けてきた過食嘔吐や男性依存などの症状をしないでいられている。症状が酷いとき、これがなくなったらさぞ楽になるだろうと思っていた。しかし、そうではなかった。今までいかに異常なことをしてきたか、それにより大切な人達にかけた沢山の迷惑、数えきれないほどの後悔。
今、症状を使ったら一時的には辛いことから目を背けることはできるだろう。でも、もっと後悔が増えることになる。そう思うから症状には走らないですんでいる。これからも一日一日症状を使わずに溢れる感情に向き合って日々を過ごしていきたい。



パーソナリティ障害 2019.03.03

ボーダーラインの危機回避方法

解離性障害(BPD)通院歴16年。ボーダーラインにとって過食症状は可愛いものだと感じている。リスカやODなどの問題行動に比べれば、危険は少ないと私は感じている。過食しているよりもハードな衝動行為や解離症状の方が人を巻き込んでしまうことが多い。
抱えきれない悩みや辛さがあった時、頭の中を「リスカしたら楽だなー」という思考がよぎるのだが、直後に「絆創膏すんの面倒だし、膿んだら治りが遅いしなぁ...」と、した時の面倒を思い出す。
「やるの面倒だな」と、ため息とともに過食の材料調達へと向かうのだ。





River Side SANZトップページに戻る

back number(年別)

back number(特集)

back number(疾患別)