キャリアミーティング
コロナ禍で迎えた3回目の春。ワクチンのせいか、冬季鬱状態に予想外の寒さのせいなか、とにかく万人が低迷した。キャリアミーティングに出ている姉さんたちは殊更酷かった。
病状の経過や重さにもよるが、心身へのダメージの大きさと長さは、その後の人生を大きく左右する。この病気をやると、普通に就職し、それなりに対価を得る働き方は容易ではない。さらに、社会性や協調性を身に着けるには、根っからの完全主義と対人過敏に折り合いをつけなければならず、相当に踏ん張りがいるはずだ。
そこにこのコロナが襲来した。
「出勤するな、人と会うな、しゃべるな、近寄るな」という感染拡大防止の強制的なお達しは、踏ん張っていた姉さんたちのお墨付き休暇となった。当時、現役の患者さんたちが「ようやく自分たちに時代が追い付いた!」と豪語し、やはり“出身”は一緒かとそれを見て思っていた。ところが姉さんたち、半年ほどしてなんと「仕事行きたい」と言い始めた。
「頑張らないことに頑張る」事態に疲れたと言える。しかし、見方を変えると、過酷な社会生活を何とかやりこなし、社会に馴染んでいたからこその辛さとも言えるのだ。
きっとあと少しでこのしんどさの終わりが見えてくるはず。頑張れ、社会人の姉さんたち。
当事者ミーティング(既婚・キャリア)
新しい年が明けた直後、ミーティングは、魔の年末年始をどう過ごしたか、の話題でもちきりになります。それもグループによって内容は様々で興味深いものがあります。経過の長い、既婚者やキャリアのメンバーはなかなか大変な思いをしているようです。
中でも既婚者は、実家と夫方との二か所に年始の挨拶に行くという「実家詣」がノルマとなります。しかし、普通の?対人関係ですら難儀しているのに、一般的にもハードルが高い、義理の両親他親族が集合するという、この年間の恒例行事は、既婚者、特に子どもを持つメンバーは年内から戦々恐々としています。ところが、これだけ負担でも「無理して行くのをやめる」それは選ばなくなっています。
なぜなら、自分は嫌でも子どもたちは違うから、親が孫との再会を心待ちにしていることも、親として理解ができるようになったから。若くして病を抱えた自分こそが最優先であった彼女らの大成長です。
自分の都合や感情だけで全てを決められないことがある。他人と生活を営む中で、少しずついい意味で妥協やあきらめを覚える。「社会の人の中で回復する。」それは、心が大人になっていくこと、まさにパーソナリティが成熟するプロセスです。こうして我々も、彼女らや皆様と共に会をまた成熟させたいと思います。
当事者ミーティング
組織立ち上げからの30年にわたって、どの疾患にも関わらず、当事者の話題では必ずと言っていいほど挙がってくる意見がある。それは「自分には(その)資格も権利もない」。
過食嘔吐が止まらない摂食障害の患者さんは「デブには恋愛の選択肢がない」「そもそも恋愛する権利が生じない」と言い、OD(大量服薬)等の自傷、自殺行動を繰り返している患者さんは「自分はこの地球上に存在してはいけない」「その資格が(ボーダーには)ない」と言う(この言葉のいずれも「原文ママ」)。
意識せずとも自分の存在は自分自身が認めているもの。当たり前のことだが、心を病む人はちょっと違う。たとえ意識したところで、外界(他者)からのジャッジで必ず自分はダメ出しされる。それで傷つけられるなら、最初から自分でダメ出しておく。その根拠がどうもこの「資格・権利非該当理論」らしい。
冷静に考えれば不思議な解釈だが、では百歩譲って、なぜ彼女らがそれに一様に値するのか。話をよく聞いていると、その理由も状況も様々だが、対人関係で、一度ではなく、何度も失敗しているようで、その結果導き出された理論だとわかる。
我々はこれをジャッジしない。今はそれでいい。彼女らにとってこれは紛れもない事実だから。
家族会
新型コロナウイルスが与えた最も大きな影響は、「人との距離」でしょう。対人関係の問題を抱える人たちは、かねてからこの物理的な「距離」が心理的な「距離」をもたらし、それが冷静な判断や行動につながると学ぶため、それが世界レベルでのお達しとなったこの状況は、当事者にも家族にもいろいろな影響をもたらしました。
娘の暴力に耐えかねて家を出たあるお母さん。残した娘が何年経っても気がかりですが、この事態を理由に接触を思い留まっていました。ところが先日、夜間の大きい地震に不安になり、とうとう連絡を取ることにしました。なんと「手紙を書く」と。
そのために大きな文具屋に行き、ちょっと高額で花の絵のついたレターセットを二種類も買いました。「きれいな封筒だったら見てもらえるかもしれないと思って」と。「でも余計なことは書かないつもり。」そう話します。家族仲間は皆笑い、でも深く、強く何度も頷いていました。
緊急時(地震)の安否確認の意味もなさず、柄の有無が何かを左右したりもせず、むしろ当事者の娘には、この「悪意のない“やらかし”」が実はキツいのです。そのズレの修正が治療ですが、長年にわたって当事者も家族も見続けると、どちらも責められない気がします。親子の抱える難しさと、微笑ましさと、そして悲しさをコロナの社会は見せてくれました。
発達障害ミーティング
今回は先月の発達障害グループでの「人の心が読めなくはない」説に至った続編。
元々は「アンガーマネージメント(怒りの扱い方)がうまくいかない」から始まった話。発達障害の特徴である気分のリセットの難しさや、柔軟性の乏しさゆえに、他者との意思疎通が思ったようにいかない。
そこに自分の想像と現実との違いに差が生じて「こうじゃない!」という怒りが起こり、さらに、先のリセット難が影響して、結構な長さでその怒りは尾を引き続けている。だから、もう何年も前に終わったはずの出来事も、彼らにはいつでも「今」になってしまうのだ。
では、一体何に怒りを感じているのか。話を聞いていると、どうも「正義に反すること」「筋の通らないこと」のようだ。ところがそんな彼女ら、ミーティングではよく頑張っている。たしかにその通り。その通りだけど、でも、必ずしもその通りにはいかないことってあると思う…という私の一般的な見解に、ちゃんと耳を貸すのである。
先の特性ゆえ、ポリシー(?)はこんな事ごときでは当然不変で不動だと思うが、社会で適応するスキルを一応知っておこうとする心意気を見せるのだ。うーん、この純粋さが活かせる環境がもっと多くあればいいのに。
発達障害ミーティング
摂食障害とパーソナリティ障害という難病がメインを張っている当法人は、事あるごとに「回復は『パーソナリティの発達の未熟さ』にある」とお伝えしてきている。
しかし中には生まれた時から「脳本体の働き」自体のちょっとした問題で、行動に落ち着きがなかったり、他人との付き合い方が噛み合わなかったりと、思考や行動が一般の人達とちょっとズレてしまう人達がいる。この本当の発達障害を抱えた人達は、ズレを指摘され、笑われ、シカトされるという日々の連続で、気がつくと「自分は否定される存在」と本当にそう認識する。
これが続けばうつ病にも、摂食障害にも、パーソナリティ障害にもなっていく。これを重ね着症候群と言って、相談室ではその人たちのミーティングを始めたが、まあ凄い。十二単衣並みに着込んだ人達が集まると、もう個々が立派なキャラクターとして成立している。
先日は「アンガーマネージメント(怒りの扱い方)がうまくいかない」から始まった話が、巡り巡って最後は「祈りだろう」に行き着いた。とても大事な話なので、その詳細は10月に持ち越すが、何より凄かったのは、そこから「今、彫刻したい。ギリシャ彫刻のような”裸”を!」と、とんでもない展開に別の人が持ってったにも関わらず、その流れを誰も否定せず、皆で大爆笑したことだ。発達障害って、実は人の心をちゃんと読めているかも。
摂食障害家族会heavy級
摂食障害の症状に、自己誘発嘔吐がある。読んで字のごとく「自分(自己)で誘発(意図して)する嘔吐(嘔吐と略)」。うちの法人に来る「摂食障害ベテラン」の人たちにすれば「何を今更」だが、普通の生活では起こらない、起こさない行動である。
相談室の「摂食障害家族会heavy級」は、そのベテラン患者さんの家族が本人を理解し、周囲の対応の仕方も学ぶ場であるが、家族が話題にするそれぞれの家庭での嘔吐を巡る問題は、何十年経っても本当にネタが尽きない。
「詰まって業者を呼ぶ」のはメジャーな話だが、ではどこに依頼するのか、ということ。夜間帯は最も困る。困るから、つい、日頃から聞きなれたCMの会社に電話してしまうが、とんでもなく高額な料金を請求される。「気をつけなきゃ」と皆頷く。
そこにある超ベテラン家族が「うちは長年知ってる業者」と前置きしたうえで話してくれた内容に驚いた。「その下水管の層から、いつ頃から嘔吐をしているのかがわかる」のだそうだ。「しかも料金が良心的だから助かる」。一同がさらに深く頷いたのは言うまでもない。家族も年月が長くなると現実を直視しつつ、こういう僅かな些細なことに癒しを見出せる、ここにベテランの粋が光る。
「ミーティングだより」始めます
Covid-19 の蔓延はやはり未だ終息しておらず、都内でも現在4回目の緊急事態宣言が発令されています。昨年春に全国に実施された時には、さすがにここでも患者さんが激減し、ミーティングの参加者も足が止まっていました。
足が止まったのは、移動による自らの感染を危惧したお母さんたちがほとんどでしたが、それでも当事者も家族も来る人は来続けていました。そこで最初は様子見だった人達も「やっぱり保たない!」ということで、こちらもオンラインを使ってのミーティングの開催に踏み切ってみました。
双方に不慣れですからその作業も一苦労です。画面を通してその人が見える、声が聞こえるだけで、まあ割れんばかりの大騒ぎでした。それはそれで感動的でさえあってとてもよかったのですが、やり始めて徐々にわかってきました。
確かにミーティングしてる、けどなんか違う、と。私たちがこれまでミーティングでやってきたことは、体験の共有をするだけではなくて、会話を通して、そこにある空気や間も一緒に共有して初めて成立する、とても大事なことなのだと。
この7月で開所から12年目に入った相談室の大きな柱の一つを担うプログラムとして、皆さんにも是非足を運んでいただきたく、今後このコーナーでご紹介していきたいと思います。
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家族会と当事者ミーティングについて
家族支援の柱となる家族会には、摂食障害3つ(家族教室Light級、家族会教室Heavy級、のびFamily's(リニューアルのため現在休止中))と、パーソナリティ障害2つ(ダーボ港の会、ぷちダーボ)があります。
摂食障害家族会は1996年に発足。パーソナリティ障害家族会「ダーボ港の会」は2004年に全国初の境界性パーソナリティ障害の家族会として発足しました。
当事者のためのミーティングはのびの会相談室(通所型教育事業施設)で実施されています。心理士同席のもと、疾患につい学びながら、回復のためにどうしたら良いか、何ができるかを考え、それを社会生活の中で実践する力を養うことを目的としています。『カウンセリング(個別相談)』で自分の心の問題を整理し、『ミーティング』で具体的な対策と実践力をつける、回復のためにこの両方が必要だと考えています。
現在パーソナリティ障害、発達障害、双極性障害の疾患別ミーティングと、「ママサークル(子どもを持つ当事者対象)」「おひとりさまミーティング」「カンガ・ルーミーティング(母子関係)」など立場別のミーティングが行われています。